おかしい。アスランはクローゼットの前で首を傾げていた。
「おかしい…な？」
見つめた先のクローゼットの中。確か昨日もきちんと端に寄せて掛けておいたはず。しかも着る順番に並べて掛けておいたはずだが、微妙に位置がずれている気がする。
「おかしいな…」
クローゼットが傾いているとか、建物自体が傾いているとか…そういう話は聞いてないし、見る限りはそんな状態になっているようには思えない。それに部屋を荒らされた様子も一切見受けられなかった。
それなのにクローゼットの中の制服やそのほかハンガーに掛けてあるものだけが位置を変えている。
「誰かが部屋に入って来た？いや…それこそありえないだろう…？」
ここは軍部の中…軍事に従事する兵士達のために用意された宿舎の一つだ。
軍部の中にあるから、不穏な動きをしないようにと常に監視されている。廊下や共同で使っているブリーフィングルーム、トレーニングルームなどには、防犯と監視の二つの意味を兼ねて、常に監視カメラが回っているくらいだ。
だがそれでもプライベートな空間は必要であるとして、各個人に割り当てられた部屋にはさすがに監視カメラはない。その代わり扉の外と窓の外にはがっちりと監視カメラが付けられているし、そもそも部屋に入るにはパスワードが必要だ。自分の部屋のパスワードが破られて誰かが部屋に入ったとしたら、警報が鳴る。だが「誰かが部屋に潜入した」なんて報告は受けていない。
そんな風にセキュリティーがしっかりしている私室に、誰かが勝手に入り込むということ自体考えられない。
「まあ…無くなっているものはないからいいが…」
ざっと備品を確かめたが、私物も含めて何か無くなっているということはない。ただクローゼットの中の服の場所が多少変わっているだけだ。
害はないかと思う反面、なんだか落ち着かない。
「アスラン〜！そろそろ時間だよ〜！」
考え込んでいるアスランの耳に、キラの声が飛び込んできた。キラの声に促されるようにして時計を見れば、確かにそろそろ集合の時間だ。
アスランは疑問を残しつつもクローゼットに仕舞ってあった制服を手に取った。赤いザフトの制服に袖を通すために、制服の前を広げた時に何かがひらりとアスランの手の上に落ちてくる。
「…？」
何だ？と手の上に落ちてきたものを見れば、茶色を帯びた髪の毛のようだ。だが自分の髪質とは随分と違うし、そもそも毛の色が違う。
「アスラン、遅刻しちゃうよ？」
「……あ、ああ」
「どうしたの？」
いきなり真横から話しかけられて、アスランは目を丸くしてしまう。そんなアスランの視界に映ったのは、アスランの幼馴染にして秘密の恋人であるキラ・ヤマトだ。
なんだかんだと腐れ縁が続いて、軍人になっても結局同じ隊に配属されるなど、キラとの縁は運命を感じさせる…云々なんて一瞬にしてアスランの頭に思い浮かぶ。
だがキラに「本当に遅刻しちゃうよ？」と時計を示されては、そんな考えを頭の隅に押しやるしかない。
慌てて手にしていた赤い制服を羽織ったアスランは、最後に首のホックを止めながら「行くぞ」とキラに声を掛けていた。だが部屋から出ようとしたアスランの事を、キラがなぜかじっと見つめてくる。
行かないのか？とアスランは訝しげに眉をしかめてキラを見つめ返していた。
「あ…、な、なんでもないっ。行こう！じゃないとイザークがまた切れちゃうよね！」
イザークってばなんであんなに沸点が低いのかなあ？となんだか誤魔化すように声を上げたキラに、アスランは眉根を寄せてしまった。
今度こそ一緒に部屋を出ようとしたキラの手をアスランは掴む。
「な、何？」
「お前…何か隠していないか？」
「えっ…？な、無いよっ！っていうか、何でそんな話になるのかなっ！」
慌てたようなキラの表情は「何かを必死に隠しています」ということをアスランに伝えてくる。
伊達に長年幼馴染をやっていない。キラの好みや行動パターン、更には行動範囲まで大体のところは把握できている。そしてどもるように声をあげたキラは、アスランに「何か」を隠していることが明白だ。
（まあ…キラのことだから危険なことや皆に迷惑をかけるようなことはない…と思いたいが）
一見ほんわりとしていて、更に天然でおっとりしているように見えるキラだが、その能力値は高い。アカデミー卒業の優秀な軍人にしか与えられない「赤」を着ていることからも想像できるが、大半の中間達はキラの外見や行動から「赤服のキラ・ヤマトは、ザフト軍のマスコット」と思っている節がある。
（いいけどな）
キラもそれを否定することはないし、キラの周りにいる自分たちもそれを今更否定する気もないし…否定できない部分もある。
軍人と言うある意味お堅い職場にいるわけだが、キラがいるだけでなぜかその場が和らぎ、行き詰っていた様々なことがキラの何気ない一言で解決してしまうこともあるからだ。
それでもキラの近くにいる自分や、同じ隊に属する中間達はキラの能力がそれだけではないことを十分承知している。例えばモビルスーツの操縦技術、ソフト開発の技術、情報収集能力の高さなどだ。
残念ながらオールマイティとはいかないのが、銃の腕や白兵戦の弱さ、爆弾処理などの指先を使って細かいことをする作業などが壊滅的なこと。
人には得手不得手があるから、それが駄目だとは言わないし、キラはウイークポイントを上回るいいところをたくさん持っている。だからこそ「赤」を纏えたわけだし、周りの皆も認めているわけだが…。
（まさかまたどこかにハッキングでもかけたとか言わないだろうな？）
キラの趣味というのが厄介な代物だ。こと他人のシステムに入り込む…正確には他人の組んだシステムのトラップを回避して、どこまで痕跡を残さずに相手の空間に忍び込むかということを、時々「腕試し！」と喜々としてやっていることがある。
さすがに軍人となってからは、それは問題になるから止めろとアスランがきつく言い含めているから、控えてはいるようだが…。
そう言えばこの前も、不正を行っているという噂の企業のホストコンピューターに忍び込んでその証拠を掴んだ…なんてこともあった。
もちろんキラが掴んだ情報はすぐさまマスコミにリークさせて、不正企業を取り締まってもらった。被害が大きくならずに済んでよかったね！とキラは喜んでいたが、あまり褒められたことではない。正義のため…とは聞こえがいいが、キラのそれは紛れもなく「犯罪行為」だからだ。たとえ人助けに行っているものだとしても。
もちろんそんなキラをフォローするのは自分の役目だとは思ってはいる。けれど余りに事が大きくなってしまったら、自分の手に負えなくなってしまうだろう。そうなった時、キラを守りきれるか？と問われるとアスランにも何と答えていいのか分からなくなる。
むろん大切なキラのことは、この手で守りたいといつも思っている。けれど自分の力には限界があることをアスランは知っている。
「アスラン…あの、さ。別にアスランが心配するようなこと、してないよ？」
「え？」
「何か気になったら…ちゃんとアスランに相談するから」
「……」
キラと並んで歩いていると、キラからそんな言葉が齎された。どうやらアスランの考えを読み取ってしまったらしい。さすがにお互い幼馴染を長年やっていない。アスランがキラの考えをある程度読めるように、キラもアスランの考えが読める。
キラの言葉を聞いたアスランは、ふっと思わず笑みを浮かべてしまった。
【Law learned by experience】
森野様のイラストからイメージして書いた話となっております。